世界三大最悪外交3 ~三枚舌外交~
こんばんは、崚斗です。明日明後日超絶忙しいのですが、ブログは更新しようと思います(偉い)。
さて、世界三大最悪外交3、世界史上最も最悪と言われる三枚舌外交です。
三枚舌外交
というパワーワード。行ったのはまたしてもイギリス。具体的には
フセイン=マクマホン協定 (1915)
サイクス・ピコ協定 (1916)
バルフォア宣言 (1917)
の3つのことです。
はっきり言いましょう。
ゴミです。
前回のローラット法でさえ信じられない内容だったのに、それを超えるそびえたつクズ外交。こんなひどいのは見たことないです。では、何があったのか見ていきましょう。
(話の都合上順番が変わります。)
(以下パレスチナという言葉が出てきますが、分からない場合はイスラエル(エジプトの隣の国)だと思ってください。)
1.バルフォア宣言
こちら、イギリスのバルフォア氏。このおっさんが1917年にユダヤ人にしたのがバルフォア宣言。実はユダヤ人は紀元前1000年ころ今のイスラエル付近に国を持っていたのですが、様々な理由で国を滅ぼされそれ以来祖国を持たないまま世界中に散って暮らしていました(これをディアズポラといいます)。
そして、移った先でも迫害や虐殺を何度もされてきたのです。
そこで、バルフォア氏、第一次世界大戦中にこう言います。
イギリスが戦争に勝ったらパレスチナにユダヤ人の国を作ってやる。だから、資金援助をしろ。
実はユダヤ人、お金持ちが多かったのです。
イギリスが戦争に勝てばパレスチナに自分たちの国が出来る!
パレスチナはユダヤ人がもともと住んでいた地域です。今異民族に支配されているけれど、祖国に戻れると考えたユダヤ人は大喜び、イギリスに莫大な資金援助をします。
戦争が終わったら祖国に帰れる…。およそ2000年ぶりの祖国です。どれだけ楽しみにしていたことでしょう。
2.フセイン=マクマホン協定
さて、今度はこちらのおじさんをご覧ください。
こちら、イギリスのマクマホンです。彼はオスマン帝国がドイツに味方した、つまりイギリスの敵であり邪魔な存在なので弱体化させようと思いました(詳しい話(特にインドに関係する話)は少し難しいので最後に補足としてつけておきます。興味があれば読んでください)。
そこでマクマホンは言いました。
オスマン帝国領内のアラブ人よ、帝国に対して反乱せよ。もし、反乱を起こせば戦後アラブ人の国をパレスチナに作ろう。
ん?
フセイン=マクマホン協定ではパレスチナはアラブ、バルフォア宣言ではユダヤのものんいなっている…。
え、嘘つきじゃないですか…。
はい、嘘つきです。
これは、戦後どうなるのか楽しみですねwww
ユダヤとの約束を守るのか、アラブとの約束を守るのか。
皆さんはどちらだと思いますか?
戦後パレスチナはイギリスのものになりました。
ん!?なぜ!?
いや、イギリス、どこからきたんだよwww
ていうか、どっちとも約束守ってないじゃんwww
なぜこんなことが起きたのか、それは、このサイクスというおっさんがフランスのピコという人とともに中東の領土分割を「秘密裏に」したためです。
最早理解が出来ません。
4.三枚舌外交の影響
しかし、これだけだったらローラット法と同じです。何が酷いかということを言わせてください。
第二次世界大戦後のイギリスのセリフです。
いや~、三枚舌外交やったらパレスチナやばいことになっちゃったwwwwwwwwwwwww
もう手に負えないから、あとは適当によろしく~www
丸投げかよ!意味が分からないwww
第二次世界大戦などの影響で世界各地からユダヤ人がパレスチナに流れ込んできたのです。そのせいでもともと住んでいたアラブ人は追い出されてしまいました。そして、追い出されたアラブ人とユダヤ人は対立を深めていったのです。
第四次中東戦争という言葉は聞いたことがあるでしょうか。この中東戦争はこの三枚舌外交が一つの原因となって起こった戦争です。
さらに、IS(イスラム国)はこの三枚舌外交のせいで理不尽にひかれた国境を認めないとしてテロなどを行っている面もあります。
嘘に嘘を重ねついには責任放棄をしたイギリスの三枚舌外交。一体どうするつもりなのでしょうか。
と、3回に分けて世界三大最悪外交をお届けしました。次回はもっとゆったりとした話題を提供しようと思います。
(本稿では世界史受験で押さえたい用語に下線を引いています。)
<補足>
世界三大最悪外交2 ~ローラット法~
こんばんは、崚斗です。11月になり、随分寒くなりましたね。風邪などを引かないように注意してください。(風邪をひくはドイツ語でsich erkälten)
さて、前回のアヘン戦争に引き続き今回は世界三大最悪外交として
ローラット法 (1919年)
を紹介します。アヘン戦争は聞いたことあるけど、「ローラット法って?」という方も多いかと思います。有名ではないのですが、これは世界史上でも中々ひどいというより、人間として最低じゃないかと言いたくなるような法律です。
では、見ていきましょう。
1.非暴力不服従
皆さんこの人をご存知でしょうか。
こちら、インドのマハトマ・ガンディー(1869~1948)ですね。イギリス支配下のインドにおいて非暴力不服従を謳いイギリスからの解放を求めた運動家です。
前回のアヘン戦争から推測できるようにイギリスによるインド支配はとてもひどいものでした。しかし、ガンディーは暴力による解決ではなく、イギリスに従わないことによる運動をときました。
さて、このガンディーですが、このローラット法に激おこぷんぷん丸します。あの寛容そうなガンディーが怒る法律…。一体何があったのでしょうか。
1.第一次世界大戦
1914年セルビア人の青年がオーストリア皇太子を殺害するサラエヴォ事件を契機に第一次世界大戦がはじまります。
長引く戦争。1917年にはロシア帝国での反戦運動が拡大する中、ついに革命が起こりソ連が成立、戦争から撤退をしました。なにせ人類がいまだかつて経験したことのない規模の戦争です。あの大国ロシアが撤退するほどなのですから…。
さて、インド。
お前ら、もっと物資を供給しろ!!!(インド人を殴る音)
戦争のためにイギリスは様々な負担をインドにさせます。勿論イギリスにこんなことされているのですから、インドの経済はもはや破綻していました。
しかし、
もし、ここで協力すれば独立できるかもしれない
そんな期待をインド人は持って彼らはイギリスのために来る日も来る日も働きました。
そして、ついにその時がくるのです!
2.インド独立
ついにインド独立か!?
こちらの眼鏡のどこにでもいそうなおじさん、名前をウィルソンといいます。ウィルソンはアメリカの大統領で国際連盟(現在の国連の前身)の創設に貢献した人物です。
ウィルソンは戦争中に言いました。
それぞれの民族がそれぞれの国を動かしていくべきだ!
つまり、インドはインド人が統治するべき、イギリスは干渉してはならない、ということです。これを民族自決と言います。
このニュースを聞いたインド人は大喜び。もしアメリカ(正確にはアメリカが味方したイギリス)が戦争に勝ったら独立できるぞ!これはもうイギリスに味方するしかありません。
1917年にはついにイギリスが
戦争に勝ったらインドは独立させる。だから、協力しろ。
と約束します。
ついにインドの独立です!おめでとう!(ここで拍手の音8888888888)
ガンディーは言いました。
イギリスに協力しなさい。
戦争に行きなさい。
そういって若者の背中を押し戦場に送り出し、今までさんざんインドをいじめてきた国家イギリスに全面的に協力しました。
そして、そのインド兵の力もあったのでしょう。イギリスは戦争に勝利しました。1919年のことです。(野獣先輩)
3.ローラット法
さて、1919年。(野獣先輩)
ヴェルサイユ条約が結ばれました。(この条約も中々クズなのですが、それはまた別の機会に)
そして、インド独立を約束したイギリスは、同年インドでローラット法を施行します。
内容は簡単に嫌な感じに言うと以下の通りです。
気に食わないインド人はすぐ刑務所
(具体的には破壊活動の容疑者の令状裁判なしの投獄、陪審員によらない裁判)
ん?
独立 #とは
いや、普通に最低やろ、嘘つき外交やん…。独立させてくれるっていうから戦争に協力したのに…。え、皆さんどう思います?
このおっさんが、ローラット法を作った一人、ローラットです。最低。
流石にインド人もこれには激怒、集会を開いて抗議運動を展開します。
するとイギリスは、
うほ、こんなに抵抗するインド人がいる!
まとめて処分できるね♪
と銃を乱射して何百人ものインド人を虐殺しました。
これを、
アムリットサール事件
と言います。
もう、私、何も言えません。いや、これ、意味が分からない。
イギリス最低!
このイギリスを形容する言葉があるなら、ぜひとも知りたいですね。
結局インドが独立するのは第二次世界大戦のあと、この法律からおよそ30年後です。遅い。
非常に読んでて不快になる記事ですね、すみませんwww
(本稿では、世界史受験で押さえておきたい用語に下線を引いています。)
、
世界三大最悪外交1 ~アヘン戦争~
こんにちは、崚斗です。
僕が世界史が大好きだからという理由だけで世界史についてつらつら書いてるだけのブログ2記事目です。
さて、今日から「世界三大最悪外交」ということで3つの外交を紹介したいと思います。
具体的には
1.アヘン戦争 ←今日これ
2.ローラット法
3.三枚舌外交
を紹介したいと思います。ちなみに、どれもイギリスですwww
下に行けば行くほどひどい外交で、世界史を学ぶとイギリスが嫌いになるとささやかれているのは、これらのせいでしょう。
では、どんな外交をしていたのかさっそく見ていきましょう。
1.そうだ、アヘンを売ろう
1800年代初頭のイギリスは清(当時の中国)との貿易に苦労していました。
というのも、イギリスは茶などの商品を大量に輸入していましたが、イギリスは特に珍しいものを持っておらず、何も輸出できない。このままだとイギリスのお金が清に吸収されてしまう。貿易赤字がどんどん膨らむ。イギリスは考えに考え、思いつきました。
そうだ、アヘンを売ろう
なにせ麻薬です。それはそれは高価に売れます。インド(当時はイギリス植民地)で大量にアヘンを栽培しそれを売る権利をイギリスは持っていたので、これを活用しないわけがありません。イギリスはせっせとアヘンを栽培しましたとさ。
2.もう密輸入はやめてくれ…(切実)
考えてみてください。麻薬のアヘンです。こんなものを真正面から貿易することは清が許しません。そこで、イギリスはアヘンの密輸入を行います。
するとどうでしょう。中毒性のあるアヘンです。これが売れること売れること。嬉しくなったイギリスはどんどんアヘンを作りどんどん密輸します。
待て
逆に考えてみよう。中国の経済は大丈夫なのか?
勿論崩壊しました( ´艸`)
さらには、麻薬ですから衛生的にも最悪ですし、中毒者は増えるばかりでした。
そこで、当時の皇帝である道光帝は林則徐にアヘンの密輸をやめさせるようイギリスに伝えるよう頼みました。
ちなみに林則徐はこのおっさんです。
全然イケメンじゃないですね。
こちらは道光帝。おじさんですね。
まあ、このイケメンじゃないおっさんがイギリスにアヘンの密輸をやめるようにお願いをしました。
さて、イギリスはどう対応したのでしょうか。
3.海の中のアヘンとアヘン戦争
皆さん、イギリスがこれでアヘンの密輸をやめると思いますか?
イギリスはアヘンの密輸をやめたら大赤字になってしまいます。アヘンの密輸などやめられるはずもなく、林則徐の頼みを無視してアヘンの密輸を続けます。
イギリスが莫大な富を得る一方、中国は社会的にも経済的にも敗退していきました。
そして、ついにことは起こるのです!
林則徐がアヘン1400トンを海に投げ捨てる事件!!!
1400トンです。大人の人間20000人分です(よくわからない)。さすがの林則徐も激おこぷんぷん丸でしたね。
そりゃ、麻薬を密輸されてやめてくれといったのにやめてくれないなら、怒っても当然です。
しかし、これに逆切れしたのがイギリス。
俺らの商品を海に捨てただと!!!
いやいや、論理が無茶苦茶すぎるだろ…。やめてくれと言ってたことをやってるのだから…。
しかし、これだけでは終わらない。なんと、イギリス商人が仕返しなのか怒りのあまりなのか中国人を殺してしまいます。
これに激怒した清はイギリスへ食料を輸出するのをやめるのです。
すると、またイギリスが逆切れ。
食い物がねえじゃねえか、奪ってやる!!!
一体どれだけ自己中のなでしょうか。呆れます。
こうして、イギリスが清に大砲を打ち戦争が始まるのです。
こちらが、アヘン戦争の絵です。まあ、清はあっさり負けました。
イギリスの貿易赤字解消のためにこんなひどい目に遭わされた清はこの後どんどん衰退しいき、アヘン戦争(1840~1842)の後70年ほどで滅亡してしまいます。
さて、シリーズもの世界三大最悪外交1~アヘン戦争~はいかがでしたか?
アヘン戦争は日本にも影響を与え、西洋の強さを知った日本は天保の改革で薪水給与令を出します。
このイギリスの悪行を次回も紹介していきたいと思いますwww
(本稿では世界史受験のおいて押さえておきたい用語に下線を引いています。)
世界史上最強の下ネタ
Guten Tag! Wie geht es dir? 崚斗です。
さて、皆さん下ネタは好きですか?
最初の記事から何言ってるのか!
というツッコミもあるかと思いますが、とりあえずこちらの少女を見てください。
彼女こそ世界史上最強の下ネタ。アメリカ大陸を世界で2番目に発見したと伝えられるアメリゴ・ヴェスプッチの従兄弟と結婚した、その名も
シモネッタ・ヴェスプッチ(Simonetta Cattaneo Vespucci, 1453~1476)。
Twitterなどでは南冲尋定(なんちゅうえろさだ)やソノアンニ3世などの架空の偉人が存在しているようですが、もうお分かりのように、このシモネッタは実在した人物なのです!なんという下ネタ…。こんなに下ネタな名前をつけられた有名人がいるでしょうか…www
さて、世界史上最強の下ネタです。ただ名前が下ネタというだけではありません。
なんと、
シモネッタの裸の絵画
が後世にまで残っているのです!流石はシモネッタ、ちゃんと仕事をしています。
それが↓↓↓こちら↓↓↓
一度は見たことあるのではないでしょうか。
ヴィーナスの誕生 (イタリア語名:La Nascita di Venere; 作:Sandro Botticelli)
という絵です。ルネサンスを代表する絵画の一つですね。
ヴィーナスというのは美の女神で、金星を英語やドイツ語でVenusというのは、その女神に由来しています。その誕生の姿を描いたこの作品のモデルとなったのがシモネッタというわけです。
さて、この作者サンドロ・ボッティチェリも中々な人だったようで、彼が絵を描くために服を全部脱げとシモネッタに言ったところで彼女は応じません。そこで彼はシモネッタの裸体を頭の中で想像して、興奮しながらこの絵を描いたのだとか(本当かどうかは知らない)。この時代に南冲尋定が存在していたら、どんなに面白かったことでしょう!矢張どの時代にもこのような男は存在するものですね。
特に変態な格好はしていないようですねwww
目つきがキモイとかいいがかりはかわいそうなのでやめてあげてくださいwww
この世界史上最強の下ネタであるシモネッタですが、20歳あまりのときに病気にかかり亡くなってしまいます。矢張、美女というものは儚く美しいまま散ってゆくものなのでしょうか。この高貴な身分である絶世の美女の死に町中が、イタリア中が悲しんだといわれています。
現在ではアメリゴが強く名を残していますが、この絶世の美女のことも頭の片隅に残してあげてください。
ここで本記事を書き終えようと思いましたが、このままだとサンドロ・ボッティチェリが単なる変態だという印象がついてしまいますので、彼の代表作である「春」を載せて締めたいと思います。どうか、彼を変態ではなく芸術家として記憶してあげてください!
春(イタリア語名:Primavera; 作:Sandro Botticelli)
(本稿では世界史受験をする際に必ず押さえておきたい用語に下線を引いております。)